武甕槌大神と韴霊剣

鹿島神宮_直刀

鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神の佩刀は韴霊剣と古来より伝わります。
日本神話を記した『古事記』の神武東征の段には、その力で悪疫を退散させ、平和をもたらす特別な剣として描かれています。

昨今の新型コロナ感染症の拡大により不安や心配が高まる中、少しでも崇敬される皆様の力となりますよう、この神剣についてご紹介させていただきます。

神武東征と韴霊剣

神話の時代、天孫降臨を果たしたニニギ命の曽孫にあたるイワレヒコという名の皇子は「ここから遠く離れた東方にこの国の中心に位置し、大和と呼ばれるすばらしい土地がある」と、九州の高千穂を出発し船で海を渡り大和(今の奈良県)を目指しました。

東征の途中には土地の豪族たちの抵抗や、激しい戦いによる兄の死など、幾多の困難に遭遇しながらも一行は大和を目指します。一行が紀伊半島を周回しの熊野に上陸すると、悪神の毒気により兵士たちが次々と重い疫病にかかり倒れてしまい、全軍は壊滅寸前の状態に陥ってしまいます。

「御神影図」木村武山_鹿島神宮蔵

その時、高天原では天照大御神と高木神(高御産巣日神)が地上世界の喧騒を心配し、すでに天孫降臨を成就させた武甕槌神を遣わそうとしたところ、武甕槌神は「自分が行かずとも、国を平定した特別な剣があるのでそれを天より降せばよい」と仰られました。そして武甕槌神は熊野の高倉下の夢に立ち「高天の原の命によりこの剣を倉に天降すから、お前は朝目覚めたら天津神の皇子に献上しなさい」と伝えました。

天から降された一振りの剣(韴霊剣)を、翌朝高倉下が皇子に捧げます。するとこの剣の持つ不思議な力、起死回生の力によって兵士たちは疫病から力を取り戻して蘇り、従わぬ豪族たちの抵抗も見事に平らげることができました。

その後、皇子一行は八咫烏の案内により熊野から吉野、吉野から大和へと進軍し、無事に大和の平定を達成しました。そして、この皇子は大和の橿原宮で初代の天皇、神武天皇として即位しました。

木村武山「御神影図」鹿島神宮蔵

神武天皇御東征之図

『国史画帖大和櫻』より「神武天皇御東征之図」

さらに鹿島神宮の古文書(『鹿島宮社例伝記』鎌倉時代成立)においては、この即位元年に神武天皇は武甕槌大神のご神恩に感謝して勅使を派遣し、この鹿島の地に鹿島神宮を勅祭したと伝えています。

韴霊剣の現在と鹿島神宮の直刀

神武天皇即位後、韴霊剣はその功を称えられて物部氏の遠祖 宇摩志麻治命により代々宮中でお祀りされました。しかし第10代崇神天皇の7年に勅命によって、物部氏の祖 伊香色雄命が大和の石上(いそのかみ)にお遷しし、神体山に埋納して祀ることとなりました。これが現在の奈良県天理市の石上神宮の端緒と伝わっています。遥かに時代の下った現在でも、韴霊剣石上神宮の神体山に埋め納められています。

一方、鹿島神宮の宝物に全長2.7メートルを超える長大な神剣「直刀」(本ページ上部写真)がございます。この直刀の製作年代はおよそ1300年前と推定され、伝世品としては我が国の最古最大の剣として昭和30年に国宝に指定されております。

これは、神話の上ではこの韴霊剣が武甕槌大神の手に戻ることなく、神武天皇の手を経て石上神宮に祀られたことから、現在では「二代目の韴霊剣」と解釈され、現在も「神の剣」として鹿島神宮に大切に保存されております。

終わりに

昨今の新型コロナウイルス感染症の拡大により、政府からは緊急事態宣言が発令され、我が国は重大な局面に立たされています。皆様におかれましては政府や地方自治体、あるいは医療機関等の発する情報をよく確認し、防除対策に励行いただきますよう併せてお願い申し上げます。 

このコロナ禍が国民全体の不断の努力で収束し、鹿島の大神様のご加護により皆様が平穏無事な生活が送れますよう切に願っております。